2006年/10月号
1. 今日のはじめに

 「グローバルなんど、ハイスピードの技術革新なんど」と、オレ、言ったよね。
そのオレが「変わらないから変わるんど」とも言った。
ワケわからんくなったらいけんので、今回はそこらへんを整理しちょくね。
2. グローバルとローカル
 整理のために、「立ち位置」から説明しようと思う。で、その「立ち位置」に行くために、
まずはグローバルとローカルにふれる。
 あのね、君たちが生きていくこれからの時代、君たちは、地球規模でつながっちょるんよ。
たとえば回転寿司、行ってみてん。ウニが値上がりしちょらんか?トロが高くなっちょらんか?
 ウニが値上がりするのは北朝鮮産の輸入がストップしたから。トロが高くなるのは日本がインド産の
ミナミマグロを取っていいヨという分量が減ったから。回転寿司のウニとマグロが高くなったももんで、
カッパとおしんこでがまんしたとすると、君のがまんは「グローバルな欲求不満耐性」ってことになる(笑)。
 でもって、回転寿司のたとえ話で続けるけど、どこの回転寿司に行くんか?
ニューヨークのか?上海のか?外国にわざわざ回転寿司、食いにいかんよね。
おおかた「そのへん」、だろ?オレや君たちが住んでいる「そのへん」のことを、ローカルといいます。

 回転寿司を食べに行ったり、髪を切りに行ったり、パンとか野菜を買いに行く--- つまり、暮らしだ。オレや君たちの暮らしがいとなまれてるところが、ローカル。
ちゅーことは、ニューヨークで暮らしている人はニューヨークがローカル、上海で暮らしよる人にとっては
上海がローカル。ローカルって、「田舎の住所」のことじゃなくて、人間の生活の舞台のことだ。
 同じように、グローバルって「遠い外国」のことじゃなくて、地球規模のつながりのことを言うの。
つーことは、ローカル即グローバルだし、グローバル即ローカルってわけよね。
「山口県はいなかじゃけぇ〜」とか「広島県は東京よりいなかじゃけんど山口よりは都会じゃけん」とか(笑)、
それはちがうんど。グローバルでローカルな山口があり、ローカルでグローバルな広島があり、なんよ。
おさらい ---その1---
そもそもこのロングホームルームは、次のような問題からスタートしたのだった。
今が江戸時代なら、君たちは士農工商いずれかの身分にハメられているのだから、「自分はこうなる」の
「こう」は100%確定している。そのシバリは実に不自由なもんだ。だから私たちは自由であることを
願い、現在、自由を確実に手にしている。
 が、この自由ってやつが実はなかなか不自由で、「自分はこうなる」の「こう」が100%不確実性を
ともなってしまう。「こう」を自由に自分が決めるのって、大変にやっかいなことだヨ。
3.ハイテクとローテク
 大ハイテクとローテクにもふれちょかんと、君たちの「立ち位置」が出てこんのんじゃった。
なので「立ち位置」の話に行く前のここで、ハイテクとローテクにもふれておく。
 技術革新なんどー、ハイスピードなんど、縄文時代の1万年が、今じゃ1年なんどー、とか
言いよったね、オレ。それはたしかにそーなんよ。そーなんじゃけど、そればっかし言いよると大切な
半分が落ちてしまう。大切な半分とは、ハイの反対の、ロー。ハイテクの対局にあるとされるローテク。
 なんでもかんでもハイテク化されるんかちゅーと、そうはいかんよね。
たとえば回転寿司のトロのたとえでやってみるけみるけど、トロって、ほうちょうで切るやろ?
またたとえば、暮らしの中にある髪切りのたとえでやってみるけど、ヘアサロンって、
ハサミでカットするじゃろ?またまたたとえば、そもそも道具を使わん仕事もあるんであって、
お年寄りのベッドメイキングは人力だ。ネムの教育とかカウンセリングとかは人力すら使わない。
「魂の人間力」みたいなのがすべてだ。ローテクの極致ってとこだね(笑)。
 温泉つかってのんびりする(観光)とか、四季のうつりかわりと共に自然の中で生きる(ロハス)など、
ハイテクやイノベーション(技術革新)と交わりのない領域も、オレや君たちの身近なところにある。
「どっちがいいのか」みたいなデジタルの発想じゃなくて、それはそれ、これはこれ。
時と場合と気分と機会によりけりで、オレたちはハイとローの間を行ったり来たりするもんなんよ。
4.立ち位置
 で、やっと「立ち位置」の話にたどりついた。
(たどりついたのはいいけど、そもそも、この文章ロングホームルームの結論である
「フ〜ン、勉強せ〜ツーんかー」には、いつたどりつくんかの(笑)。
そろそろ今年も終わるのにの。まァ、気気長にやってみるしかないと、オレ的にはあきらめちょる。)
 ほんでもって、立ち位置。
 さっき、グローバルとローカル、ハイテクとローテクについて、順順にふれちょいた。
それを、座標で書いてみると、こうなる。


 グローバルとローカルをタチ軸にとって、ハイテクとローテクをヨコ軸にとっただけの話(笑)。
とくだんに特別のことをしたわけじゃないけど、そしたら4つの領域が出現しちゃった。
 グローバルでハイテク。その1。
 グローバルでローテク。その2。
 ローカルでローテク。その3。
 ローカルでハイテク。その4。
 その1の領域、グローバルでハイテクのところが、なんだかんだいったってやたら話題になりやすい。
ハイブリッドカーの北米市場進出、ノーベル物理学賞、宇宙開発競争、ヒトゲノム。世界中をかけめぐる
マネーの話も、そのマネーの流れを書き止めておく会計基準のグローバルスタンダードの話も、
ハイテク技術抜きにはやれんことよね。どれもこれも話がデカイ。
 その2の領域、グローバルでローテクの領域はというと。宮島で中国語の道案内、見たよオレ。
錦帯橋に英語の説明がしてあるマップがあったよ。湯田温泉でハングルの標示がしてあった。
なんのことはない、オレたちの身近もすっかりグローバル化されちょるじゃんか、ねえ。
観光ってハイテクとは無関係だけど、グローバル化しよる代表的な領域なんじゃね。
 そのつぎ、ローカルでローテク。つまりその3の領域はどうかっていうと、ここはまさしく
暮らしそのものだ。ネムハイスクールもここんとこに分類されちょる。オレ、君たちと初めて
出会う時には、紙とボールペンでメモ取ったり、赤ペンでハートを書いてから
「心のストレス」とか説明するじゃんか(笑)。しかも山口弁マル出しで。
ローカルだよね、ローテクだよね。教育の場で「グローバル社会に適応できる人材の養成」、
「技術革新の波に取り残されないための知識の更新」なんちちゃっていくら叫んだとしてもさ、
中等教育までの教育って、本当にローカルでローテクなんよ。地味ないとなみの連続があって、
君たちの中に希望とか信頼とか独立とか調和とか、ひっくるめていっちゃえば「人間力」、
言い換えして「生きていく知恵」を育てていかんと、グローバルもハイテクもむなしいことにしかならん。
医療も福祉も保健も教育も、人間とかかわる/人間を応援する仕事は、根本のところではローカルかつ
ローテクのことがらに属している。
 ほんでから最後、ローカルでハイテク。4の領域はたぶん、オレなんかより君たちの方が
ずっと身近じゃろうと思う。チャットするかね?オレ、せん。けど、
チャットとゲームを組み合わせて、チーム作ってゲームしたりするじゃろ、
君たちは。いまどき、どこで暮らしちょろうとネットを使えば一瞬にして
世界とつながる。それって、まさしくハイテクのなせるワザだ。
 ネット上で「正しい山口弁の話しかた講座」やってみるか(笑)?
たぶん、だれも購入せんから、もうからんけど。山口弁講座じゃだめだけど、そんなら
「中古バイクネットオークション」ならどうじゃろうか。けど、もう、やられちょるか。
そしたら「高校生が作る学校の通信ボ」なんか、ダメか?学校に対するホンネを全国の高校生から集めて、
教育委員会に有料で見せてあげるとか(笑)。
 ローカルだけどハイテク使うと、けっこういろいろできそうよね。
おさらい ---その2---
このロングホームルームに行きつくとこは、次のような問いかけへの答えです。
「ふ〜ん、アイデンティティじゃなくて、チェンジビリティなんか〜。
そうなんか〜。で、勉強せェ〜ツ〜んか。
『勉強』のなかみを、モノとコトに分けてこれから説明するっちゅーんか〜。
はよ、答え言うて〜や〜」と、ね(笑)。
5.立ち位置-その2-
 立ち位置のこと説明しようと思ったら長くなったんで、ここでひとくぎり入れといた。
話は引きつづいているから読み進んでくれ。
 さっきオレが言った4つの領域って、「その4つの領域のどこに自分の立ち位置を持ってくるんか」と
思われそうだけど、実はそうじゃないんよ。オレの経験的には、ひとりひとりの立ち位置は「交点」だ。


 グローバルとローカル、ハイテクとローテクというふたつの軸の交点に立ってみるとね、
わりと自分の「今と今から」が見えてくる、んじゃないかとオレは思いよる。
 オレを例にしてみるよ。
 交点に立って、その1の領域、つまり、グローバルでハイテクな世界を見る。
すると、「企業は地球規模の競争をしているから、リストラしながら年功序列とか終身雇用というヤドリギの
世の中をブッ壊してしもうた」が見えてくる。
 その交点から2の領域、つまりグローバルでローテクな世界を見る。
すると「さすがにインドから弁護士はやって来ないかもしれんけど、フィリピンから看護士がやって来る
時代はすぐそこだ。日本人の看護士はガーゼ替えちょるだけじゃいけんくなるど」と思えてくる。
 同じ交点に立ってローカルでローテクな世界を見る。すると「オイオイ、いつまであてはめる
教育やりよるんか。卒業する年の4月から就職させることが学校の役割じゃなくなっちょるんど。
希望とか信頼とか独立とか調和とか、言ってみれば『人間力』、言い換えすると『生きていく知恵』を
たっぷりと吸い込ませる教育していかんと、ヤドカリで社会生活していけんのど」と言いたくなる。
おさらい ---その3---
このロングホームルームのキーワードをならべとくね。
■アイデンティティじゃなくて、チェンジビリティ
■ヤドギリじゃなくてヤドカリ
■ハイパー・メリトクラシーじゃなくて、脱・メリトクラシー
■モノづくりじゃなくて、コトづくり
 で、同じ交点からローカルでハイテクな世界を見る。すると「ローカルでハイテクを
消費するんじゃなくて、ハイテクでローカルから発信していかんと、ふるさとが持続せんじゃんか。
グローバルかつハイテクの領域でおこなわれる競争の勝ち組だけが勝ちで、その他はゼーンブ負け組みたいな
価値観バラまきよると、大変なことになるど。ふるさとをたいせつに思う気持ちを伝えて、
その同心円上にわが国をいとをしく思う気持ちが育つようにしていかんと、アメリカ合衆国日本州になるか
中華人民共和国日本省かどっちかになってしまうど(笑)」と、ちょこっと極論をふくめて、
書いてみたくもなったりする。
 あのね、グローバルとローカル、ハイテクとローテクというふたつの軸でもって見える世界って、
「あれかこれか」じゃやっていけんのんよ。グローバルは同時にローカル、
ローカルはマンマでグローバル。ハイテクはローテクと共同するしかないし、
ローテクはハイテクと共存しつつ独自に存在する。
 なんだかヘンテコな説明になってしもうたけど(笑)、心理学用語の「共依存」を使って説明してみる。
共依存とは「あいつがいるから、オレもいる」「あなたがいるから私もいる」くらいのこと。
相手先になるものがないと、一方のイミがまるでなくなるってことだ。
 たとえば今の君たちにとっては、ネネムがあるって、いいことだよ。ネムがあるから君たちの今があることは、
事実だと思う。じゃあネムは「ネムがあるからお前ら、こうしていられるんじゃい!ネムのおかげじゃい!
尊敬せんかい!!」ってやるかというと(笑)、やるわけない。
だって、ネムがあるのは、君たちがいてくれるからだ。君たちがいてくれるから、君たちを育てていくっていう
ネムの存在価値もある。つまり、共依存だ。
 グローバルとローカル、ハイテクとローテクの関係も、同じ。どっちが上でどっちが下、どっちが勝ちで
どっちが負けという「対立するもの」じゃないんだ。
 ネムがあって君たちがいる、君たちがいてネムがある。ネムは君たちそのものだし、君たちはネムそのものだ。
だったら混ざり合って混沌してるかといえば、ネムはネム、君たちは君たち、そこにおのずから区別はある 。
このイメージでもって、さっき言ったこと、くり返すね。
 グローバルは同時にローカル、ローカルはマンマでグローバル。ハイテクはローテクと
共同するしかないし、ローテローテクはハイテクと共存しつつ独自に存在する 。
なにげにイメージできるんじゃないかと思う。
 グローバルとローカル、ハイテクとローテクって、デジタル思考の「0」と「1」、
「オン」と「オフ」の関係でとらえるもんじゃない。「つながっているあっちとこっち」、
つまりアナログな見方でとらえるべきもんなんよ。
 じゃから「立ち位置」は「0」か「1」かではなく、「あっちもこっちも」が一番ふさわしい。
つまり、「交点」てことになるじゃんか。
 ここんところをしっかりと理解してくれると、君たちは、さっきの座標の交点に立ちながら、君たちなりの
風景を見ることになるだろう。君だから見えるその1の世界、君にしか見えないその2の世界、君だけが
感じることのできるその3の世界、君がひらめくその4の世界。4つの世界の交点に立って君がとらえる
4つの世界の風景が、君の中で君特有の広がりを持つ時、その広がりを「人生」と呼ぶ。
 立ち位置は交点。ここは変わることがない。しかし君がとらえるであろう4つの世界の風景は、君の成熟と、
その時々の4つの世界の状況によって、時にゆるやかに、時にあざやかなまでに変わるこことだろう。
 オレが「変わらないから変わっていける」と、ワケわからんことを前回書いたのは、
つまりは「交点」という不変の「立ち位置」と、そこから見えてくる「風景と風景の変化」に合わせた
ヤドカリ人生(チェンジビリティ)のことだったのでした。
おさらい ---その4---
このメッセージも思い出してネ。
■自分の感性が、決める。それができる時代になったんよ。
■強い者が生き残るとは限らない。頭のいい者が勝ち残ったわけではない。変化した者が生き残ったのだ。
6.今日のくくり
 お疲れさま、今日もしっかり読んでくれて、ありがとう。
 次回の予告めいたことになるけど、あてはめられるためにテスト勉強せーツってるんじゃないんよ、オレ。
交点に変わらず立ち続けながら、変わり続ける風景の中で君たちが生きた証を残していくために、
活き活きとしたチェンジビリティの精神を支えるのが、勉強なんよって、言いたいみたい。
 江戸時代にくらべて、自由な現代だ。あふれかえる自由がやっかいなものでなく、つまり、
不自由な自由の中で自家中毒してしまうことなく、自由を自己が限定しつつ、みずみずしく君たちに
生きていってほしくて、オレ、次回も一生懸命に書くから、あきずあきれず、
次回も読んでクラハイね。オシマイ。

日時:平成18年12月9日(土)
時間:午前10時〜
場所:ピピ510


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