高松君は、6月4日(日)に行われた福岡県大会(九州・山口地区のクラーク生は福岡大会に出場)で1500メートル走と2000メートル障害走の2種目に優勝し、全国大会への出場切符を手にしました。
 高松君は、早朝からスーパーマーケットでのアルバイト、陸上のトレーニング、ネムでの学習を毎日欠かさずに取り組んできています。全国大会は、8月11日(金)、12日(土)、13日(日)の3日間、東京の国立競技場で行われます。皆さん応援よろしくお願いします。
6/23 学校便り
おさらい
  「ふ〜ん、アイデンティティじゃなくて、チェンジビリティなんか〜。そうなんか〜。
で、勉強せェ〜ツ〜んか。『勉強』のなかみを、モノとコトに分けて
これから説明するっちゅーんか〜。はよ、答え言うて〜や〜」と、ね(笑)。
ここまでが前回のおさらい。ところで今日、野村は「とうふづくりのにがり」の5月号と
5月臨時増刊号を読み返してみた。で、ヒヤ汗タラ〜になった。って言うのも、
「オレの言いたい全部の中の、チョコットだけしか書いてない!」から。
 今日も頑張って野村は文章でロングホームルームやります、が、今日で終わりません(笑)
。なので、本当にゴメンだけど、今日は今日でしっかり読み込んで、
次回も付き合ってクラハイ、スマン・・・・。

動機づけ
 なにかをしたいと思う、あるいは、なにかになりたいと思う。
この思いの根っこにあるものが、ふつう、動機と呼ばれちょります。
「高卒資格は必要だと思った」、なのでネムに来た。「美容師になりたいと思った」、
だから専門学校に行くためにネムに来た。ネムの君たちひとりひとりには、ネムで学ぶ、
君たちの思いの根っこ(動機)がある。ステキなことだよ、それ。
ほんでもってたずねてみるけど、じゃァ、ネムで学んだあとのあと、
自分がどんな仕事してるか、イメージできちょるか?その仕事イメージの根っこに
あるものって、じぶん的に十分にナットクしちょるものなんか?
オレがね、5月からの文章ロングホームルームを始めたワケは、
まさしくこの問いかけからなんヨ。この問いかけに対して、十分にナットクしてYESと
答えることができるように オレは祈りにも似た気持ちで、君たちに長々しく語りかけているんだ。
あてはめる教育
 江戸時代は士農工商でした 5月号のはじめで野村は書きました。じゃ、つぎの明治時代は?
「みんな対等ですヨ」(四民平等)、「工場作って豊かになろう」(殖産興業)、
「ひとりひとりが国の守りだ」(国民皆兵)・・・・。明治時代は封建制度の終わりと
近代社会のはじまりが入りまじって、ゴチャゴチャしてた。
その中で、実に明快な役割でもって作られたのが、学校なんよ。なにせ、江戸時代には
読み書き計算が十分できてた人はかなりの少数派。突然ご一新とかなっても、
まだまだ世の中がついてこれないワケ。だから明治政府は一連の改革のまっ先に、
日本中に学校を作ったの。
 で、この学校が世の中でどんな役割りをもっていたか、というとね、
トドのつまり、「わりふり」なんよ。つまり、子どもを仕事に「あてはめる」役割り。
たとえば「おまえは○○になる」「おまえは△△」「おまえは□□」。
このマルやさんかくや四角の中に職業名が入る。そんでもって、その職業名が学校と結びつく。
「役人」は大学の法学部、「海軍」は兵学校、「先生」は師範学校、「職人」は実業学校などなど、
子どもを職業にあてはめるためのコースが、実に複雑に準備されていたんだ。
 学歴主義と呼ばれているしくみのことだよね、これって。江戸時代の士農工商をぶちこわすには、
この学校のしくみがブチ役に立った。メリトクラシーといわれる
「頑張った分だけ有利になれる」しくみだ。


オレ的には、このメリトクラシー(業績主義と訳されるみたい)のしくみって、
評価しちょるんよ。ただ、「歴史的に」だけどね(笑)。たしかに江戸時代の終わりを
しっかりと終わらせるには、いいしくみやったと思う。そのしくみの中で、学校が
「子どもを職業にあてはめる教育」をしてたのも、それはそれで時代の限界なんだと思う。
 が、しかし だ。「いつまで明治時代やってるんか?」だよ。

脱・メリトクラシー
 オレね、明治時代に作られた学校のしくみがそれなりに受け入れられていたのには、
理由があると思う。だって、学校と言うしくみをうまく利用すれば、江戸時代までの身分制度の
しがらみから抜けられるんじゃもんね。制度から解放されて新しい世界で生きていける!
このエネルギーが「あてはめる教育」を受け入れていたんだろうよ。なんのことはない、
オレの言ってる「チェンジビリティ」の明治時代バージョンじゃんか(笑)。
 ふつう、この変化のことは「学校の社会階層移動機能」と説明されます。
江戸時代には禁止されていたチェンジビリティが、明治時代にOKとなった。
そのOKのしくみが学校だ。チェンジビリティのエネルギーが、結果として
「あてはめる教育」をよしとして受け入れたんだろう。うまいこと希望どおり
あてはめられた人々が、明治時代の勝ち組だ。立身出世という四字熟語が、
明治時代に大流行した。その反対に、うまいこと希望どおりあてはめられなかった人が、
明治時代の負け組だ。「日本の下層社会」という本も、明治27年にはすでに発表されていた。
 成功もあった、失敗もあった、が、明治時代のチェンジビリティは「あてはめる教育」を利用して
封建時代の終わりを終わらせた。このことって、歴史的には高く評価していいんだよ。
でもさ、メリトクラシーの学校って、封建時代を終わらせたんだから、もう過去のものじゃあね。
だったら、「あてはめる教育」も、終わればいいのにネ(笑)。
それが続いちょるんよ、今も。ただね、時代っていうのはある日突然に終わるんじゃなくて、
終わりの始まりが始まって、終わりの終わりが緒Iわる。で、終わりの始まりが始まるころに
新しい始まりが始まっていて、終わりの終わりが終わったころには、
時代はすっかり新しいのになっちょるの。だから、メリトクラシーが教育のしくみの根本にあった時代は、
今も続いちょるんじゃけど、新しい時代の始まりも始まっているんだとオレは思うんよね。
ついでにいうと、ネムの子たちって、その始まりが始まっている中で、
さきがけてメリトクラシー(業績主義)と「あてはめる教育」にNO!!と言った、
ステキな子どもなんだと、オレは思うちょるんよ(さきがけると、少し苦労もするけどね)。
 まァ、かっこよく言うと、脱・メリトクラシー。野村的には、あてはめ拒否。
君たちは、まだまだ時代がすっかり新しいのになっちょらんから苦労しちょるけど、
たしかにメリトクラシーだけで教育はやっていけんのと思うんよね、オレ。

アホたちのハイパーメリトクラシー
 メリトクラシーではやっていけんらしい、と、ウスウス気付いてる人たちは、ほかにもおる。
で、その人たちは何を言いよるか注意深く聞いちょると、
「メリトクラシーからハイパーメリトクラシーへ」なんと。ハイパーはスーパーであって、
ウルトラであって、バージョンアッバージョンアップでもある。なんのことはない、今までは
せいぜい大卒とか高卒とかの履歴が話題になりよったメリトクラシーにプラスして、
大学院まで行って、大学院レベルの資格を取って、英語がペラペラしゃべれて北京語が
ペラくらいにしゃべれて、説得力があって人間力があって
コミュニケーション力があって・・・・・・。なんと。
 アホ。延長線上でないと考えられない人たちって、おるんよ。たとえ話だけど、
「スシはもういらん」と言ったお客さんがいたとするよね。その客にお店の人が
「だったら、おいしいスシがあります」と言う、客はいらんと言う。
「だったら、特別にすごくおいしいスシがあります」と言うようなもんだ。
スシの延長線上でだけしか発想しちょらん。思考が停止しちょるんよ。
お客さんは「スシじゃなくてデザートがいる」って思ってるだけなのにね。
 メリトクラシーは行きづまる。だったらやっぱし、脱・メリトクラシーなんだろうけど、
「スシ」のかわりに「特別にすごくおいしいスシ」しか考えられない脳ミソと同じレベルで、
ハイパーメリトクラシーを言ってるオジサンやオバハンの多いこと多いこと。
そんなら「10 代は大学進学のための勉強、20代で大学と大学院、30代で語学留学、
40代でダブル資格の取得」でもやるんか?新入社員が全員50才とかになるんかの(笑)。
 だけど、ハイパーメリトクラシーの圧力って、すごいよ。そんなにプレッシャーを
若い世代にかけてしまうと、若い世代はちぢこまるか燃えつきるかしかなくなるで。
それにさ、メリトクラシーとワンセットになっちょる「あてはめる教育」の圧力も、
ブチすごいじゃろうがね。

 「おまえら、ニートになるんかフリーターになるんか!
正社員にあてはまるよう頑張らんかい。だけど、正社員への道はキビシイんど!!
大学行かんかい、大学院出とかんかい、資格取っちょけ、語学ができれ、笑顔と体力バッチリ状態、
相手のしぐさで心を読み取れ、これでようやく正社員!!」
オイオイ、やめとけよな、ねぇ。
 勉強するってことは、それなりの動機づけが必要だ。
 だけど、今どきのメリトクラシー、プラス、「あてはめる教育」のワンセットからなされる
動機づけって、恐怖・おどかし・不安の植え付けじゃないか?やめとけっツーの。
そんなの少しも教育の動機づけとはいわんよ。君たちが拒否ってきたものは、
学校という「場」ではなくて、その「場」に満ちていた「恐怖の動機づけ」だったんじゃないだろうか。
いつの時代もそうなんだけど、「やさしい心の持ち主は いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる」んじゃもん、の・・・・。
今日のむすび
 また今日も長々しくなったし、今日で終わりにもならんじゃった。
すまん。あ、それと「やさしい心の持ち主は・・・・」の詩、吉野弘さんの「夕焼け」です。
図書館にあるはずだヨ。
 で、今日のむすび。今日の文章ロングホームルームを読み終えた君たちの意識には、
次のような文章が入っているといいのだが・・・・(笑)。
 「ふ〜ん、アイデンティティじゃなくて、チェンジビリティなんか〜。そうなんか〜。
で、勉強せェ〜ツ〜んか。『勉強』のなかみを、モノとコトに分けてこれから説明するっちゅーんか〜。
はよ、答え言うて〜や〜。で、モノとコトはあとまわしになって、今日はメリトクラシーなんか〜。
ハイパー・メリトクラシーはアホなんか〜。脱・メリトクラシーすると、
『あてはめる教育』じゃなくなるんか〜。なんかいっそうワケわからんで〜。
野村って、授業がヘタクソなんじゃ〜、だけはわかるど」とか、
まァ、お手やわらかに(笑)、で、また次回ヨロシク。

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