2008年/7月号
1.
今日のはじめに
2Fが学校で3Fが会社。2Fと3Fをつなげる中2階というかけはし、のお話が前回でした。
今日はその続きをお話しすべきだけど、続きをお話しする前に、その続きをわかってもらうための
「気構え」みたいなことを書きますね。今日の「今日のはじめに」はエラク長いけど、まァ、つきあってや。
で、君たちはそのうち「働く」よね。
今、仮に「君が社長さんになって会社を経営する」とします。
君の会社は「正社員さん10人分が必要な仕事をする」とします。
また「正社員さん1人あたり1か月のお給料は25万円」とします。
ここで問題です。君の会社は、正社員さん10人分のために、1か月あたりいくら支出するですか?
25万円かける10人分だから、250万円と、フツーはだれもが計算する。
けど、それはバツ。正解は300万円。「ナシテ50万円も増えるの?」と思うかい。
なぜなら「社会保険料と雇用保険料を会社が負担するから」です。
お医者さんで使う保険証とか、年金を支給する負担がひっくるまって、社会保険料。
正社員さんが会社をやめた時の失業手当に使われるのが、雇用保険料。
君が経営する会社は、正社員さんにお給料を支払う時、
「お給料以外に、お給料のおよそ20%近くを合わせて保険料として支出する」のがルールだ。
会社が正社員さんを10人やとうと、会社はお給料12人分のお金を負担せんといけん。
社長さんとしては、これ、イタイよね。イタイとして、君が社長さんなら、どうする?
今どきの社長さんは「正社員さんをへらしてパートさんをふやす」というやりかたをする。
なぜか。パートさんに対しては、会社が保険料を支出しなくていいからだ。
それもルールだ。ルールはルールだから、会社は人件費をきりつめるために、パートさんをふやすんよ。
さっき、君の会社を仮定した。「正社員さん10人分が必要な仕事をする」
「一人あたりのお給料は25万円」と。すると、次のようなことが起こってくる。
「正社員さん一人分あたりの仕事量を5等分して、パートさんに分担させちゃろ〜。
お給料は5等分のそのまた半分で一人2万5000円ど〜。正社員さん10人分の仕事なら、
パートさんを50人やとえばいいじゃんか〜。なので、保険料の50万円と、
お給料の切り下げ分125万円を合わせ、175万円が節約できるで〜。」と、まァ、こんなカンジ。
これが、正規雇用・非正規雇用という問題を生み出している根っこの理由。
正社員さん10人分程度の中小企業で、1か月175万円・1年で2100万円の経費節減。
これは大きな数字だ。企業規模が大きくなればなおのさらのこと。
だから、今どきの社長さんは、正社員さんの数を極限までへらして、パートさんの数を極大化させる。
でも、さすがに「全員パートさん」というわけにはいかん。現実には正社員さんも少しだけ残る。
正社員さん一人分の仕事量を5等分してパートさんがもれなく受け持つのは、
事実上、不可能だからだ。残った正社員さんは、正社員さんであり続けるために、
とてつもない仕事量をこなさんといけん。
これが、過労死・サービス残業・名ばかり管理職というテーマの根っこ。
それらのテーマをごちゃまぜにしたまま「けっきょくいくらカセグ?」
みたいな切り口で仕事や人生を語るのが、いまどきの日本だ。
2.
そんなもんじゃないさ
働きがいとか生きがいとかいうコトバが死語になり、
代わって「時給ナンボ」「年収いくら」の世の中になっちょる。どーせイヤイヤの仕事なら、
1分からでも残業代もらうぞ、という世の中になりよる。
大人は、若い世代に向って働きがい・生きがいを語る立場だ。
なのに、時給ナンボは負け組、年収いくらは勝ち組とか、エ〜大人が平気で話しよる。
人生の話が、人件費、すなわち「経理処理項目の数字」にすりかえられちょる。
でもさ、それってショボイ話だと思わんか?
「違うよ、それ」。働くとか生きるとかって、そんなもんじゃないさ。
日本ではじめて会社を創った男は、坂本竜馬だ。亀山社中、のち、海援隊となっていく。
坂本竜馬が「会社でひともうけしてやるぜよ」と言ったか?
「目標年収は100万両ぜよ」と、考えたか?ないよ。
だって、竜馬は自らの「志」をこの世に表現する手段として、亀山社中を創ったに過ぎないんだもの。
会社とは、「志」の法人格化にすぎん。仕事も人生も、はじめに「立志」ありき、なんよ。
私(=野村)は、知ってる人は知ってるけど知らん人は知らんから言うけど、社長だ。
山口県教育委員会指定技能教育施設ネム ハイスクールを経営する、
株式会社ノムラエキスパートモールの創業社長が私(=野村)であり、
同時に、ネム ハイスクールの校長でもある。
私の「志」を、「商法」にもとづいて表現したのが、株式会社ノムラエキスパートモール。
「学校教育法45条の2」にもとづいて表現したのが、ネム ハイスクール。
創業オーナー社長で、校長でもある私(=野村)にしてみれば、
株式会社も技能教育施設も「志という水」を「世に運ぶ器」だ。
本来、会社とは「志」を入れる器でしかないのに、株式会社と聞いたとたん、
ナーンもしらんオッサンやオバハンが「営利追求!金もうけだ!」とさわぎたてる。
アホ。ホンマにナーンも知らんのど、こいつら。
社会的「起業」家(ソシアル アントレプレナー)による、社会的「企業」(ソシアル エンタプライズ)の
「経営」 ノーベル平和賞を贈られたグラミン銀行がそうだよ。
明治維新への流れを作った亀山社中がそうだ。もちろん、ネム ハイスクールも。
会社イコール営利追求としか考えられんオッサンやオバハンは、
ノーミソがカネカネ主義に染まっちょるんじゃないか?
仕事や人生の話が、結局カネの話になってしまうのは、そこらに原因があるのだろう。
カンペキなまでに「立志」という発想が欠けている。
金融資本主義。たしかに、資本主義経済はグローバル化にともなって、
カネだけ追求することを是とする方向に進化しているし、していくだろう。
しかし、世の中は必ずヤジロベー的に平衡する。なので、必ず「立志」資本主義ともいうべき動きが、
金融資本主義とは逆方向にいずれ出てくる。私(=野村)の造話にすぎない「立志資本主義」が、
もしかすると、そのうち世の中のトレンドになる、カモ (笑)。
だからこそ、「志」、「立志」、そして前々回に書いた「凛」というコトバの響き 。
これらから作られる「気構え」がたいせつなんだ。ホンマど、これ。
力を込めて言うけど、ホンマなんど。
3.
コケの縁に聞け---今日のおわりに---
30年前。高校生だった私(=野村)は、学校を創りたい、と、夢の方向を定めた。
16年前。私(=野村)は「君」を応援する、と、「立志」した。
(その「君」とは、当時、不登校の日々を生きるひとりの中学生だった。)
同じ16年前。教職を辞した日の夜、私は腕時計を外した。
「いつか、自分で正式な学校を創れたら、自分へのごほうびに時計を買ってやろう」と思った。
それから、16年。私(=野村)の左腕にはいまだ時計は巻かれてないけど。
30年といい、16年といい、それはそれなりに長い時間だ。
しかし、人生を評価するには、トンデモ短い時間でしかない。
「コケの緑に聞け 」だよ。
私(=野村)はそのうち死ぬ。死ねば墓石が立てられる。時が流れてその墓石が苔むしたら、
そのコケの緑に、私(=野村)は聞いてみようと思う。
「オイオイ、オレの人生をかけて応援した子たちは、その後、どうなっちょるか?」と。
コケの緑は答えるかもしれない。
「あなたが応援した子のヒ孫さんに、赤ちゃんが産まれました。親になったばかりのヒ孫さんが、
赤ちゃんに『カワイイ!ヨーコちゃんチュチュチュ!』って呼びかけてましたよ」とか 。
それを聞いて私(=野村)は、墓石の下で、はじめて安心して泣くことができるのだろう。
人生の評価は、それほど長き先の世に定まるんよ。人件費、すなわち「経理処理項目の数字」でもって、
正規雇用が勝ち、非正規は負けだなんて、あまりにあまりにあまりに短絡的だ。ありえない。
ネムのかわいい子たちさん。いずれ君がコケの緑に聞く日のために、今を、生きてくれ。
たしかに、生きがいや働きがいがメゲちょる国かもしれん。でも。与えられないのであれば、創るんよ。
できるさ、だって、ネムができてるじゃんか。勝ち組もない、負け組もない。
そんな評価軸で格差社会をあおり立てても、ナーンもならんのよ。
ただね。大人をふくめて「気構え格差」は、ゲンにある。
私(=野村)は、君が「立志」という「気構え」において、また、
「凛」という響きを聞き分ける「感性」において、比較劣位とならんよう、
いつでもいつまでも、君に語りかける。
がんばろうの 。今日は以上です。
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