| ■自由な不自由 |
今が江戸時代なら、君たちは士農工商いずれかの身分にハメられているのだから、
「自分はこうなる」の「こう」は100%確定している。そのシバリは実に不自由なもんだ。
だから私たちは自由であることを願い、現在、自由を確実に手にしている。
が、この自由ってやつが実はなかなか不自由で、「自分はこうなる」の「こう」が
100%不確実性をともなってしまう。「こう」を自由に自分が決めるのって、
大変にやっかいなことだヨ。ましてや21世紀のニッポン、
1年先をイメージするのも不確実なんで、「自分はこうなる」の「こう」は、
揺れ揺れに揺れるんじゃないか。自由でありながら自由に決めきれない不自由さに直面させられて
いる君たちの「今」は、ある意味では江戸時代の不自由さよりずっと不自由なのかもしれんよね。
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| ■アイディンティティという化石 |
もしかすると、アイデンティティって考え方が通用しなくなっているんじゃないかと思う。
アイデンティティとは「オレってずっとこういうオレだ」「こういうワタシがワタシなの」という
実感のこと。たとえば、中学時代ヤンキーしていた子どもが、ある日、担任の先生から
熱く語りかけられて「そんならオレ、弁護士めざすワ」と決めたとするよね。
でもって高校に行って大学にも行ってとうとう本物の弁護士になったとする。するとね、
その子の中にある実感は、「オレ、弁護士になろうと決めてずっとがんばって弁護士に
なったんヨ」ということ。その実感のことをアイデンティティというんだ。
このアイデンティティという考え方は、仕事と結びついていた。思春期においては、
将来の仕事をめざして努力している学校生活と結びついていた。
「オレ、将来、弁護士になる」とか「ワタシ、未来は看護師」とかいったぐあいにね。
だけど、仕事と結びついている学校生活って、今はもう昔のことになっちゃってるんじゃないか?
あのね、日本の場合、学校と会社への就職がかたくかたく結びついちょったんよ。
18歳で工業高校の化学科を出る、すると、化学工場に就職する。でもって42年間、その化学工場で働く。
そして60歳になったら定年退職する。42年間のあいだにマイホームを建てる、子育てをする、
孫が生まれる、定年したら年金で生活をする。これが日本人の暮らしかただった。あるいは。
22歳で大学の法学部を出る。そして公務員になる。38年間、公務員やって60歳で退職する。
あるいは もういっか(笑)。日本人にとって「学校で勉強してから仕事につく」ということは、
ワリと確実なものを手にするってことだったんよ。産業社会がしっかりしていて、
その社会に参加するための割り振りを学校がしていた時代は、「オレ、こうなる」の「こう」が
会社選択であって、「こうなる」ために学校で頑張っている実感が、
アイデンティティとして確立できていたんだと思う。
つまり、アイデンティティという考えの前提には、「ワリと確実な社会生活」っていう
前提があったはずなんだよネ。
でもさ、いまどき、「ワリと確実な社会生活」ってあるのか?そんなもん、無いかも、
というホンネが公務員を将来の職業人気ナンバーワンにしてるんじゃないか。
正社員になることはパチ屋でフィーバー当てるより難しくなってるし、
公務員になれたと思いきや民営化されちゃうし、「ワリと確実な社会生活って、無いじゃん!」
という確信に至る方が、本質をつかんでるんだと思うんだよね。
だったら、アイデンティティなんてのは、すでに化石じゃん。
今と今からを生きる君たちって、アイデンティティに代わる「何か」をつかんでいかなきゃ、
世の中で暮らすってことがつまらないものに思えてしまうんじゃないかと、心配するのであります。
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| ■チェンジビリティ |
変わる、チェンジ。能力、アビリティ。チェンジとアビリティをくっつけてチェンジビリティ。
チェンジビリティはこの文章を書いてる野村が勝手に作ったコトバだから、
権威もなにもないんだけどね(笑)。アイデンティティとは「ずっと、こう」という実感で、
ふつう、自我同一性と訳される。チェンジビリティは「変わっていけるゼ」という実感を
野村的には意味したいんで、「自我変容性」という訳語をくっつけてみようかと思う。
「ワリと、確実」な世の中とアイデンティティがくっついてた時代じゃなくなったんだったら、
「かなり、不確実」な世の中とアイデンティティを組み合わせようとすることにムリがあるんよ。
だったら「かなり、不確実」な世の中でも生きていけるっていう実感をもってこないと、
生きるってことがシンドイばっかしになるじゃんか。オレね、君たちを育てる仕事をしてるよね。
すると、「何のために育てるんか」という問いかけが、ずっとオレの中にあったんよ。
教育目的論っていう領域の問いかけじゃろうけど、
「オレ、ネムの子たちをどこに向かって育てちょるんか???」と、こればっかし考えよった。
アイデンティティ理論からすれば、ネムの子たちって「挫折体験者」にされる可能性もあるんよ。
だって、「一貫していなくて、進路変更しちょる」と言われると、
「そりゃ、そうかもしれんけど・・・」となってしまう。以前から高校での進路変更のことを
ドロップアウトという言葉で説明してきたヤツらは、「ずっと、こう」のアイデンティティ理論で
ものを考えるもんだから、「ずっと、こう、じゃないんだったら、その路線からこぼれ
落ちちょるじゃんか(ドロップアウト)」と言うんだろうよね。
だけどね、君たちの身近で君たちを見つめていると、オレ的には全然ドロップアウトじゃないんよ。
全然ドロップアウトじゃないんだけど、「じゃァ、なんなの?」って考えた時に、
言葉が見つかっちょらんかった。悲しいかな、野村が大学で心理学を勉強したころは
アイデンティティ理論がはなやかでね。
オレ、見事にアイデンティティ理論に洗脳されちょったってことよね(笑)。
「ずっと、こう」つまり、一貫している自分イメージで教育について考えるとすれば、
ネムの子たちのことをうまく説明できん。でもって、オレは洗脳されてたもんじゃから、
君たちのことを考える時、どっかでアイデンティティ理論の影響を受けちょる
-----堂々めぐりしとったんヨ、オレ。
で、アイデンティティというシバリをオレの脳ミソから取っぱらってみたら、スーッといった。
「ずっと、こう、じゃなくて、変わっていくんじゃァ〜!」ってわかった時、見つけた!と
さけんだオジサンと同じ気分やったんだぜ(古代ギリシャ 風呂からあふれ出た
湯水を見て、「ユリイカ! 見つけた! とさけびながら、フリチンで町中を走った
オジサンの名前は、アルキメデスさんです)。
アルキメデスが見つけたのは浮力の原理、オレが見つけたのは21世紀の教育原理、と言うと
自慢しすぎか?でも、20世紀の人格は人格の中の一貫性を重視してたけど、
21世紀の人格は変わる力を重視せにゃならん オレって、すごくない(笑)?
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| ■変容という能力を支えるもの |
変化を受け容(い)れる、つまり、変容。「昨日まで、全日制の生徒だった、が、今日からは
ネムの生徒だ」が、まさしく 変容。君たちの中のニーズが変化することによって生まれた教育選択は、
21世紀を生きる君たちにとって、チェンジビリティの初体験だってことだよ。
「昨日まで中学校のセンセ〜してたけど、今日からは教育カウンセラーとして生きる」が
15年ほど昔の野村のチェンジビリティ。「昨日までは教育カウンセリングだけだったけど、
今日からはプラスして高卒資格を取れるようにする」が、5年前、クラークという高校と連携を
始めた時の野村のチェンジビリティ。君たちも、きっと君たち自身の人生の中で、
いくたびか、自分のチェンジビリティ(野村的訳語で自我変容性)を使いこなすことが
あると思うんよ。たとえば、バイトかから正社員に、その正社員から別の会社に転職、
そして転職先から独立起業、起業した業種をベースにした第2創業 こういう履歴を言うと、
「ナニふらふらしよるんじゃい!ひとつの仕事を一生続けんにゃつまらんぞ!!」と逆ギレする
オヤジとかオバハンとかがいる。けど、その人たちの脳ミソは化石になっちょるんヨ。
脳ミソが脳ミソとして機能しちょらんもんだから、もしもそんなオヤジやオバハンの
つとめている会社が倒産でもしようものなら「ワォ〜、人生かけた会社がなくなったヨ〜、
ワォ〜、人生終わりじゃ〜」とかいって、すぐ人生が終わっちゃうさね(笑)。
これからの時代、会社がつぶれる学校がつぶれる、大もつぶれる小もつぶれる。
そしたら、「ずっと一貫にして『こう』あり続ける」ことにこだわるんじゃなくて、
変化に対応していける能力を高めとくことの方が大事じゃんか。
チェンジビリティが高ければ、会社がつぶれようがつぶれまいが、自分の方から進んで
チャンスをつかむ進路変更(転職とか)ができるんよ。
じゃったら、変容という能力(チェンジビリティ)を高める「しかた」を
知っといた方がえ〜ね、となる。なので、その高めかたについてふれるけど、
それって、勉強なんヨ(笑)。 |
| ■次につづく |
なんなんじゃ〜、けっきょくベンキョーせえちゅーことか 、と言わんでおくれ。
今日はちょっと長々しい話になったんで、もう、おわりにせんといけんの。
で、ベンキョーのなかみについて、くわしく説明できん。ゴメン、ゴメン。
次回は、チェンジビリティを高めるということに関する「勉強」についてきちんと説明する。
なので、今日はぜひとも「アイデンティティ(自我同一性 ずっと一貫する自分)から
チェンジビリティ(自我変容性 ニーズによって変化する自分)へ、なのか〜。
ふ〜ん、そうなんか?で、そうだったら、勉強がいるんか〜、で、
その勉強ってことは、次回なんか〜」というくらいに思っててほしい。お願いします。
チェンジビリティか〜、ふ〜ん、そうなんか〜。じゃまた、次回にね。
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| ■前からつづく |
「ふ〜ん、アイデンティティじゃなくて、チェンジビリティなんか〜、そうなんか〜、で、
勉強せェ〜ツーんか〜」が、前回の話のなかみでした。
今日は、前回書けなかったチェンジビリティに必要な「勉強」について、説明していきます。
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| ■おまけ |
勉強の話をする前に、ちょっとおまけにふれときます。
「技術を一日で上げることは難しい。こつこつと練習するしかないからです。
でも、容易ではないけれど、意識はすぐにでも変えられる。変われば、効果が表れるものも早い。」
(日本経済新聞・2006年5月17日)
これ、だれのメッセージかというと、サッカーの中田。ヒデ、ちゃんと自分の中で
チェンジビリティを高めてるんだよね。
あと、「チェンジ・オア・ダイ(変革か死か)」(中国新聞・2006年5月17日)
これは、一時期、ツブれるかもしれんと言われてた自動車メーカーのマツダを急速に再建した、
アメリカ人社長のキャッチフレーズ。結果、マツダは業績を回復させた。
企業も、チェンジビリティの重要性を知ってるんだよね おまけの話題でした。 |
| ■そして前からつづく |
前回は「ずっと、こう」、つまり、一貫しているという実感を持つことよりも、
「変わっていけるんだゼ」という感覚に満ちていることが大切なんじゃないか、というお話でした。
野村は「変わっていけるんだゼ」という感覚にチェンジビリティという造話をあてて、
自我変容性と訳語をくっつけた。
でもって、チェンジビリティを高めていくのに必要なのは、勉強だ、と書いて終わったのでした。
今日は前回のつづきであります。が、その「勉強」のことを説明する材料として、次のことを
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| ■お金で買えないモノはない。もうひとつ、おまけ |
マネーに関するメッセージで、お金で買えないモノはない、という発言が話題になった。
そうだそうだと言う人と、それはちがう間違っていると言う人が、ワイワイガヤガヤ
言い合いをしてたりしてた。その議論は「カネか心か」みたいに単純化されてしまって、
あげくのはて、「日本の教育を建て直しせにゃならん」と、大声で言いよるオジサンやオバハンまで
出て来ちょってんよね。
けどサ、それってヘンな話だとは思わないか?そもそも、「お金で買えないモノはない」と
聞いたとたんに「そうだ!」「ちがう!」と単純に反応してよかったんか?
あのね、「お金で買えないモノはない」は、事実なんよ。事実の一部でしかないけど、
事実であることに間違いはない。こんなこと言ってしまうと
「ネムの野村って拝金主義者だったのか〜」と反応するヤツがいるかもしれんけど、
話を最後まで聞けっツーの(笑)
モノにはすべて価値がある。その価値はピンキリだけど、その価値がどのくらい
ピンでありキリなのかをはかるモノサシが、マネーだ。マネーというモノサシではかられた
価値の品格が価格(ねだん)として決められる。価値の品格が高いとされたら高いねだん、
価値の品格が低いとされたら低いねだん。それぞれに価格がつけられたモノを、
物々交換するかわりにやりとりするのも、マネーだ(マネーは計算単位でもあり、
交換手段でもあるってことの説明です)。

したがって、モノにはすべて価格をつけることができる。別の角度から言い直してみれば、
モノにはすべて価値があり、その価値は価格として表現できる、ということ。でもって、
価格として表現されたモノは、マネーによって交換される。
だから、「お金で買えないモノはない」は、事実なんよ。ただね
ただ、その一文は「モノ」について言っているだけのことって、わかるよね。
この世の中には「モノ」のほかに、「コト」ってあるじゃんか。ケガを治すという「コト」、
知識を教えるという「コト」、お年寄を介護するという「コト」・・・・いっぱいある。
ふつう、ここで言っている「コト」はサービスとよばれてる。医療サービス・教育サービス・
福祉サービス・公共サービスとかの「コト」も、実はお金で買うことができるし、実際、買われている。
ということは、「お金で買えないモノはない」にプラスして「お金で買えるコトもある」と
いう表現が、マネーを話題とする時のより正しい事実だ。
じゃ、世の中、「コト」の全てがお金で買えるかっていうと、そうじゃない。たとえば
堀江さんは、今、裁判やってるけど、無罪判決を受けるという「コト」は、お金では買えない。
正義とか教育愛とか思い出とか祈りとか、世の中で「精神世界」とされる「コト」は、
サービスとはいわない。サービスでない「コト」をお金で買うことはできないの。
「交換手段・価値貯蔵手段・計算単位」という役割をになっている/という役割しかになっていない、
マネーの守備範囲外のことなんだ、精神世界は。だから、「お金で買えないコトが、ある」。
すると、マネーに関するメッセージで完ペキな正解は、次のとおりだ。
「お金で買えないモノはない/お金で買えるコトもある/お金で買えないコトがある」
つまり堀江さんが言った「お金で買えないモノはない」は事実であり、しかし、
事実の一部でしかないってことだよね。すると、「お金で買えないモノはない」と聞いたとたん、
「サンセ〜」「ハンタ〜イ」ってやり始めるの、ヘンだよ。あの発言に対してはさ、
「ホリエさん、君の言うことはなるほど事実だ、しかし、事実の一部にすぎない。
マネーにまつわる事実の全体は、お金で買えないモノはない/お金で買えるコトもある/
お金で買えないコトがある、ということだ」と切り返すのが、大人の対応だと野村は思うちょるんよ。
だからましてや「ホリエモンのお金主義、ハンタ〜イ!!そんな人間を作り出した
日本の教育、ハンタ〜イ!!日本の教育をやり直しましょう、サンセ〜!!そうしましょ〜!!」とか
言ってる人たちも、かなりヘンだよ。そんなこと大声で言ってるオジサンやオバハンが教育を
やり直したって、うまくいくわけないじゃんか、ねぇ。
話がズレた。ゴメン。今日、君たちに伝えるべきことは
「チェンジビリティのための勉強」についてだった(笑)。「勉強」についてふれるための
材料としてのホリエモン発言でした。じゃ、「チェンジビリティのための勉強」、いってみるね。 |
| ■またつづく |
と、ここまで書いたら、また、長々しくなってしまった。つづきは次回になるみたい
(オレはアホか・・・・)。
今日は、「ヒデも大企業も、チェンジビリティの重要性をとっくに知っている」と
いうことにふれた。でもって、すぐにでも「勉強」の説明をしようと思ったんだけど、
「まてまて、モノとコトについて説明しとかなきゃ、
『チェンジビリティに必要な勉強』のなかみがわかりづらいぞ」と思い、堀江さんを
引き合いに出し、モノとコトについてふれといた。
なんでこんなに回りくどくしてるかというと、野村のいう「勉強」と、
君たちのイメージする「勉強」に、たぶん、ズレがあると思っているからなんヨ。
勉強というのは、「動機付け」「理解」「記銘」「保持」「再生」という一連のワンセットを
言うんだけど、君たちと野村の間には、もしかすると「動機付け」の部分で大きなへだたりが
あるんやなかろうか、と、勝手だけど野村は思ってしまっているのです。
したがいまして。よくよく君たちにチェンジビリティってことをわかってほしいので、
実にまわりくどいながらも、説明させてもらっているのであります。
今日のお話を最後まで読んでくれた君たちには、次のような考えが浮かんでほしいと思います。
「ふ〜ん、アイデンティティじゃなくて、チェンジビリティなんか〜。そうなんか〜。で、
勉強せェ〜ツ〜んか。『勉強』のなかみを、モノとコトに分けてこれから
説明するっちゅーんか〜。はよ、答え言うて〜や〜」と、ね(笑)。 |