2007年/9月号
1. ネムって、難しい所ですよネ
 今日はいきなり本題に入るのであります。
 「ネムって、厳しい所ですよネ」。
ネムに通う高3の女の子が、私(=野村)にこう語りかけてくれた。
その子の言うところは、おおむね次のようなことだった。
 「ネムって、厳しい所ですよネ。だって、規則らしい規則もないし、
宿題もないし、先生は怒らないし、何もかも自由だし 。
でもこれって、結局、全部が自分の責任だってことじゃないですか。
すべてのことを自分が管理するってことじゃないですか。
だから私、ネムって本当はとっても厳しい所なんだと思うんです 」。
 ナイス!!やっぱし3年生にもなると、わかるんだね。ネムはね、やさしい所だよ、ゆるくないけど。
厳しい所だよ、ヒドイ所じゃないけど。君たちがネムという空気の中で
知らず知らず身につけているのは、女の子の言うとおり、自分で自分を管理する、
セルフコントロール能力だ。「自分でしなきゃ、始まらないし終わらない」。
これって、ネムだよね。ついでに言うけど、それって、人生だよ。
 もちろん、「自分で」は、孤立無援を意味するものではない。
多くの支えがあって人生は成り立っている。当然のことだ。支えられながら、
しかし、人生の主体は自分自身なのであるから、
自分で自分を管理しつつ暮らしていくしかないってことだ。
2. しかられちゃいました
 つい先日、私(=野村)は30分近く電話で怒鳴られてました(笑)。
怒鳴っている方の性別は、女性。その方にとってのどなたかが、
ネムに通っておられるというお立場で。怒鳴りの内容は
「ウチの子はなまけているからネムはもっとキビしく指導してほしい」という一点だったように思う。
私は、そのひとことのために30分も怒鳴り続けるエネルギーに感服しながら、ご意見を拝聴していた。
 その女性が主張される「厳しさ」と、冒頭でふれたネムの「厳しさ」とは、本質的に違う。
前者は、生徒の依存心を実は増幅してしまうものであり、後者は、実は生徒の自立心を涵養する。
前者は生徒の思考を停止させつつ、指揮命令系統に従属させることだろう。
後者は生徒の自主性を尊重しつつ、独立自尊の気概を育むことだろう。
 話は少しズレるけど 1月1日、2日、3日。5月5日。8月17日。今年の私の休日だ。
あとの日は、私は全部働いている。が、これって、誰かに「厳しく命令されて」のことじゃない。
だって、ネムの代表は私であって、私に命令してくれる誰かがネムにはいない。
私は自分で考え、自分で決めて、自分で行動するしかない立場なのであります。
 ネムの「厳しさ」は、この、「私の私への厳しさ」に由来しているのでしょう。
ガミガミ言い散らすことが厳しい指導ではないのです。
おだやかに、つかず、はなれず、見落とすことなく たゆたう時間の中で、
君たちにセルフコントロールという能力を「厳しく」育てていこうと思っています。
3. 今日のおまけ-----「自分で」のすべては受容されるのか-----
 私(=野村)の父は教員、母は専業主婦だった。
なので、経済的にはごく平凡な家庭だったといえる。
 ごく平凡な経済力にとって、たとえば子どもを私立大学の医学部に
行かせることは(不可能でないにしても)、無謀なことだ。私立大学医学部の学費は、
平凡な家庭の経済力をはるかに超えている。
 にもかかわらず、たとえばかつての私が「自分で私立大学の医学部に行くと決めた。
自分で決めたのだから、親はそれを受容(OKとする)しなければならない」と
主張することは、正しいだろうか?あるいはたとえば、「自分で私立大学の医学部に行くと決めた。
なので金をかせぐ必要があるから今は勉強を捨ててバイトをする。親はバイトばかりすることを
受容(OKとする)しなければならない」と主張することは、正しいだろうか?
 セルフコントロール(自己管理)は、エゴイズム(自己中心主義)とはまったく違う。
セルフコントロールとエゴイズムとをはきちがえないために、ネムは多くの時間を
生徒である君たちとの対話に使っている。セルフコントロール(自己管理)能力は、
現実を吟味(ぎんみ=よく調べていくこと)したり、現実と妥協
(だきょう=希望するいくつかを捨て去り、かつ、希望しないいくつかを引き受けること)するという
作業を、必ず要求してくるものだ。
 私のかわいいネムの子たちさん。「自分で」というキーワードはとびっきり大切なものなのだけれど、
そのひとことが、結果において君のすべてを満足させるものでもないってことを、十分に知ってて下さいね。


Copy lights NEM HIGH SCHOOL