2007年/5月号
今どき、政治家とかそのへんのオジサンとかオバハンとかが「家庭教育の充実を!」とか「親がしっかりせにゃ!」とか、言いよる。なんか、息苦しい時代とは思いませんか。
朝日新聞に連載した教育論です。コピーなので汚れてしまってますけど、見てください。
上の新聞の切り抜き、実はこれ、今から9年前、1998年の初夏に、朝日新聞に連載したものです。
当時の風潮からして「いつか『健全育成を目的とした親指導」なんてことになったらタイヘンぞ」と
思って書いた。それから9年がたって、教育基本法が変わるし家庭教育の圧力は強まるし。9年前に
「今どき」を予測した感性によるとたぶん、これから先は教育のキーワードが「滅私奉公」となっていく。
オイオイ、いいのか、それって?
教育の、どこかのなにかに息苦しさを感じて、それが何であるか説明はできないけど、
とにもかくにもネムに来てくれた君たち。私は次のように考えるが、君たちはどうか?
教育は、オジサンやオバハンがしばしば言うような、国家100年の大計なんかじゃない。
誤解を恐れずに言うけど、教育はせいぜい目先3年の自己投資にすぎない。未来を生きる君たちには、
3年サイクルで自分をリメイクしていく発想こそが必要だ。
でも、オジサンやオバハンは「教育によって子どもを立派な日本国民に仕立て上げる」と主張する。
いじくるなって。立派であるかどうかは別として、人間がどのような生き方を選択するかは、
根本的には国家の風格が感化することだ。
感化とは、不知不識(しらずしらず)のうちにそうなっていくこと。
「オレ様の言うこと聞かんと、ヒドイ目に合わせちゃるど!」の対極にある。
人間の成長に強制できることは、なにもない。大人がすべきことは、大人としての生き方を、
子ども世代に見てもらうことだけだ。「私はこう生きた」「私たちはこう生きてきた」と子たちに見てもらって、
それから先は子たちが決める。子たちの決めかたにまで強制や命令をするって、教育じゃなくて調教だろ?
私はそのように思い、ネムを創り、今を生きている。
君たちが育ちやすい場所づくりをしていくことが、私という大人の生きている姿だ。
それを見て君たちが何を思い、また思わないか、私にはわからない。が、少なくとも、君たちが学校の中で
感じた息苦しさだけは、忘れずにいてほしい。
その息苦しさの由来を知り、その息苦しさを解消しようとして世に住み続けることが、もしかすると、
君たちの人生そのものになるかもしれないからだ。
Copy lights NEM HIGH SCHOOL