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2008年10月号
1. 今日のはじめに
 先日、ふと思い立って神社に行きました。
「卒業していく生徒さんたちの進路がうまくいきますヨーに」とおいのりしておみくじを引いたら、
大吉でした。ホンマにそうでした。調子に乗って「オータムジャンボで2億円あたりますヨーに」と言って
おみくじを引いたら、末吉でしたし、宝くじは当たりませんでした。
 神様は「いのり」と「ねだり」の区別をちゃんと知っておられて、誠実な「いのり」はちゃんと聞き届け、
都合のよい「ねだり」はきちんと拒否されるものだと、改めて感心したものです。
 私は、何か特定の教派に属しているわけではないので、いわば無宗派層です。ですが、宇宙には
人間の理性を超えた何かが存在している、と感じることもあります。なので、無神論者でもないのでしょう。
 人間を超えて存在するものが、ヤッハウェーの神なのか、大乗の仏なのか、八幡様なのかを私は知りません。
けれど、私はなぜか不安を感じず、恐れにさいなまれることなく、怒りやイライラ感から
遠くにあって暮らしています。夜明けに目覚めた時などは、まだボンヤリとした意識が
「自分は愛に満たされている」と私に語りかけることもしばしばです。
 学校だよりにこんなことを書くと「ネムはオカルト集団か!」と、あらぬ誤解をまねいてしまいそうです。
もちろん、ネムはオカルト集団ではありませんし、特定の宗教の支配を受けているものでもありません。
そういったことではまったくないことを大前提として、
「自分は愛に満たされている」などと書く理由は、以下のとおりです.

2. 役割葛藤
 保護者の方々のお話を拝聴する場面が、私の日常に多くあります。
多くの場面の多くのケースにおいて、はざまに揺れる保護者の声を私は聴いています。
「この子がいとおしくてたまりません。しかし、来年にはこの子はもう○○歳になるのです」という文脈で、
たとえばその揺らぎは語られます。○○歳というのは、中2が終わるとか高校を卒業するとか、
つまり、子どもさんの現状に応じた区切りを強く意識されておられるようです。
 親として、子どもを見守りいつくしみたいと思う反面、親だからこそ、教育や子育ての
現実的な成果として、区切りを確認したい 完全受容の母性原理と、条件付受容の父性原理とが、
親心の中で、はげしく攻めぎ合っておられます。
 この心の中の攻めぎ合いは、役割葛藤と名付けられています。
お父さんやお母さんにしばしば見られるこの葛藤は、
「子どもが社会に出て困らないように厳しくする役割」と
「子どもをどこまでも守り切ろうとする優しい役割」とが親心の中で共存することに由来します。
昨今のように、不況が急に世の中をおおいつくすと、大人の側にあせり感が強くなるのかもしれません。
「子どもに厳しい役割」をついつい演じることも、増えてしまうようです。 もちろん、それはありうることですが 。
3. 信じる、愛、希望
 ネムの子どもさんたちは、自らの内面の機が熟すまで、行動的にあるいは観念的に、
試行錯誤を重ねる傾向が特に強いようにお見受けします。
 大人の側の役割葛藤ですら、かなりキツイものです。まして、ナマミで試行錯誤する生徒さんの
不安や焦りや混乱は、たとえ生徒さんの口から語られずとも、無限大なのだと私は感じます。
この試行錯誤が不都合な行動をともなう場合、生徒さん本人のみならず、
家族のメンバー全員がヘトヘトになったりもします。
 この不安や焦りや混乱、あるいは不都合ともいえる具体的な行動に対する処方箋が、
信じることであり、愛であり、希望であったケースを、多く拝見してきました。
科学的なデータに根拠するものではありませんが、現場の経験則として、
「信じられ、愛され、希望された度合い」によって、生徒さんの人生の充実感に差があるようです。
 大人である私たちは、子どもの内面において機が熟するときを待つべきなのでしょう。
オカルト的なのではなく、きっと、そうなのです。

4. 今日の終わりに
 私は仕事がら、親ごさんがわが子を信じ切る瞬間に多く立ち合います。
私が生徒さんに信頼を寄せる力が1とすれば、親が子どもを信じ切る力は、
その100兆の100兆倍くらいスゴイです。
 この親心こそが、「信じる」とか「愛」とか「希望」などと呼ばれる精神性なのだと思います。
生徒さんとの会話の中で、これまで私は、信じる・愛・希望といった言葉を、それとなく無難な別の
表現に置き換えて使ってきました。しかし、親ごさんが見せる底力にならって、
信じ切ること、愛していること、希望を持ち続けていることを、これからは少しずつでも
ネムの生徒さんに「ストレートに」伝えようと思うのです。
 「自分は愛に満たされている」という私自身の実感をお伝えした理由は、親ごさんの底力に
私自身が元気をいただいているからです。素晴らしい方々との出会いに感謝しています。
 蛇足ですが、教育に心理学が入り込みすぎて、信じるとか、愛や希望といった精神性よりも、
発達障害とか人格障害といった分析的な専門用語が子どもの周辺に飛びかかってしまうのも、
いかがか、と思っています。

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